サニトラミーティングが大事な理由⑯ 最終話
約一年ぶりの北海道をあとにし、再び戻ってきた三重県。敦賀港から向かったのは新しい生活の地である四日市。
色々ありながら無事に契約できた空っぽのアパートに荷物満載のエブリィでひとまず帰宅。
最終出勤日までの数日間はひたすら荷物を入れ、必要な生活備品を揃え着々と住まいを整えました。
一度鳥羽へ戻り最後の出勤を終え11ヶ月お世話になった職場と鳥羽に別れを告げて予定どおりに四日市で新しい職場へ通い始めました。
これが2015年6月のこと。
たったの一年足らずで予想もしなかった方向に進み始めた私の人生。
三重県に来た理由は以前のお話の中でもお伝えしましたが、本当にたまたま選んだホテルの所在地だったというだけなのです。
選んだホテルが想像を超えるほどのへんぴなところにあったこと。まるで陸の孤島にいるかのような気持ちになったことで思い出すことができた本州のどこかにいる古いサニトラの知り合い。
これがもしもなんの不自由もない比較的便利な場所を選んでいたら思い出すことはあっても連絡などとらなかったかもしれない(笑)
複数の要素が重なった結果、ひょっとすると長い間行きたいと思っていたサニトラミーティングに行けるかも?!と、返事など期待もせずに連絡を取ったことから大きくいろいろなことが動いていったのです(´ω`)
サニトラばかりを集めたミーティングが静岡で行われていることを知り、北海道でも集めてみよう!とたった一度だけ、それも道内各地からでやっと5台で行った旭川でのミーティング。それでも自分以外のサニトラが隣に並ぶ姿や、一緒に並んで走ったことは一生忘れないほど嬉しかったニヤニヤ(°∀° )ニヤニヤ
いつかは海を渡ってサニトラミーティングに行きたい!
そんな思いも長い月日の中では強く思ったり薄れたりと浮き沈みは正直ありました。それでも心の片隅にはサニトラに乗り続けている限りやっぱりいつかは。。と完全に忘れ去ることはなかった。
乗りたくて乗り始めた車では決してなかったですが、毎日の足として乗り続けるうちに気付くとそのサニトラがあったからこそのエピソードが私にはたくさんあり、乗り続けていたからこそある日突然動かなくなり日々の足ではなくなった時にその存在の大きさに驚いたのです。
三重県に来てたくさんのサニトラが好きな人たちに出会い、念願のサニトラミーティングにも参加。そのサニトラ仲間との会話の中から始まったキッチンカー製作の計画。一年で戻るはずだった北海道への往復切符はいつしか片道、無期限延長となり再び相棒となる今のサニトラを手に入れた。
大袈裟でもなんでもなく、私の選んで来た道には多かれ少なかれサニトラがいつも関わっているのです。
サニトラミーティングが大事な理由。
それは遠く離れた北海道で影響され、それがきっかけで繋がった人たちと何年もの時を経てようやく出会い、出会ったことで変わりゆく自分の進む道。現在の自分の姿。そのあらゆる原点がサニトラであり、サニトラミーティングだと。
いま私はキッチンカーの活動と並行してサニトラの活動を行っています。いろんなイベントに参加するのはもちろん、同じ女性サニトラオーナーの友人と一緒に月に一度サニトラをはじめとする懐かしい車たちとそのオーナーさんたちが出会う場としてSUNNY MEETという小さなミーティングを四日市で開催中。
↑毎月第2日曜の朝の2時間という短い時間ながら毎度新しい出会いや発見の場に!
私がサニトラを通じて多くのものを得られたように、共通の好きなものを持つ者同士での交流を通じて車のことはもちろんそれ以外にも数多くの何かを得られる場所であってほしいとの願いを込めて行っています。
そしてこの思いはSunny to goでも同じで、Sunny to goに出会い、ホットサンドを食べた人たちがこんなに簡単なら自分でも作って食べようと思ってくれたり、手作りのキッチンカーを見て自分でも何かできるかもしれない!なんて思ってくれたらいいな、という思いで出店活動をしています(´ω`)
Sunny to goに出会った人々からいつかそんな小さな報告を聞ける日を楽しみにしつつ(*´∀`*)
サニトラミーティングが大事な理由、これにて終了とさせていただきます( ˆᴗˆ )/
大変長期に渡りお読みくださった皆様本当にありがとうございました!
次はエブリィがキッチンカーに変身するまでを不定期で書いていこうと思いますので、また暇つぶしのお供にぜひお役立てくださいね(笑)
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